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更新日 2017-11-19 | 作成日 2017-02-14

 

植えたい記念樹第一位

 

ハナミズキ 植えたい記念樹第一位 人気

 
 
「趣味の園芸」創刊25周年を記念して「読者が選ぶ、植えたい記念樹ベスト25」を募集した結果は下表のとうりで(1998年4月号)、最も人気を集めたのはハナミズキでした。
 

ハナミズキ’ホワイトラブ’の写真

 
ウメやサクラ、ツバキ、サザンカ、バラ、モクレンのように花が美しく、人目を引きつける花木が上位を占めているのは当然ですが、どちらかといえば新参のハナミズキが、トップの座におどりでたのは「新しいもの好き」、「舶来好き」、「ブームに乗りやすい」日本人の選択だったといえるかもしれません。見慣れた花々よりもどこか変った花、なんのてらいもなく、花の盛りに底抜けに陽気な花を咲かせるハナミズキが人気を集めるのももっともなことです。
 
また、花だけでなく、色づく果実、紅葉、冬の枝ぶり、一年を通して見どころが多い点でもハナミズキが他の花木の勝っています。
 
 

日米親善の花大使

 

ハナミズキ 日米親善の花大使
 

明治45年2月14日、横浜港を出港した船に、3000本ものサクラの苗木が積まれていました。東京市長、尾崎行雄がワシントンの親日家たちの要望にこたえたものです。苗木は3月下旬無事にワシントンに到着、ポトマック公園の中心に植えられました。
 
サクラの返礼は米国特産のハナミズキでした。大正4年5月、アメリカ合衆国政府の使者として東京にやってきた農務省のスウィングル博士から白花種40本のハナミズキの苗木が東京市に贈られました。当時、東京市の技師だった井上清の記録によれば、一部のハナミズキは日比谷公園に、また一部は羽根沢苗圃や野方苗圃に植えられました。東京市が植えたハナミズキは20本で、残りの20本は小石川植物園、東京府立園芸学校、農務省興津園芸試験場などに植えられました。
 
続いて大正6年には紅花種のハナミズキの苗木13本と台木用の種1ポンドがサクラ愛好家フェアチャイルド博士によって運ばれ苗木は日比谷公園、向島百花園などに分植されました。
 

ブームになったハナミズキ

 

ハナミズキ ブーム
 

ハナミズキが日本に初めて渡来したのは明治中期といわれていますが、現存するのは、東京市長の尾崎行雄がワシントンの親日家たちに贈ったサクラの返礼として、大正4年にもたらされたハナミズキの苗木40本のうちの4本です。
 
その後も大正6年に13本、昭和12年には40本余りが米国のガーデニングクラブから送られてきました。このように、何度かはきっかけがあったのですが、一般に普及するようになったのは昭和40年代後半からです。そして、園芸品種の’チェロキー・チーフ’や’スイート・ウォーター’など、濃紅色花のハナミズキの苗木が量産され入手しやすくなった50年代後半から、本格的なハナミズキブームが始まりました。
 
全国的にハナミズキ道りができ、並木、街路樹といえばハナミズキという答えが返ってくるほどのブームでした。しかし、乾燥地や照り返しの強いところなど、無理な植栽が行われて失敗に終わったのも多かったようです。その失敗から反省が生まれ、ハナミズキの特性が理解されるようになったのはむしろ幸いなことかもしれません。



”おすすめの本”

当サイトの”ハナミズキ”に関するページのほとんどは、この「ハナミズキ」から引用させていただいております。写真が多く値段も手ごろなおすすめの一冊です。
 


ハナミズキ
’ホワイトラブ’とは

ホワイトラブは、ハナミズキの新品種であり、従来のハナミズキに比べて、育てやすく、直立性、大きな花というのが特徴です。